か茂免

白壁町とか茂免の歴史

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白壁(旧白壁町)とは

名古屋の白壁町・主税町・橦木町は、尾張徳川藩の中級武士の屋敷が集まった地域でした。明治維新以降は、名古屋財界人の住宅地としてモダンな邸宅が立ち並ぶようになり、豊田佐吉、佐助、喜一郎らのトヨタ一族やソニーの創業者である盛田昭夫氏など、近現代日本の製造業を支えた人々が住んでいました。第二次世界大戦で、幾度もの激しい空襲を受けましたが、幸いにも白壁エリアは戦火を免れ、今に至ります。

現在この地区は、名古屋の近代化の歩みを伝える歴史的な遺産の宝庫ともいえる一帯を「文化のみち」とし、特に白壁・主税町・橦木町は残された貴重な歴史的町並みを保存するため、名古屋市町並み保存要綱により「町並み保存地区」に指定されています。

か茂免の歴史

昭和3年に中区島田町にて河豚・鳥の水炊き専門店として出発。
昭和10年に中区園井町に移転、昭和20年に戦災、昭和23年1月に中井氏のご好意で、東区白壁のこの地で料理旅館(現在は料亭のみ)として、営業を再開させて頂き、現在に至っております。

現在のか茂免は、尾張徳川藩中級武士「安藤十次郎邸」跡に京都の紙問屋「中井巳次郎」氏の別邸として大正八年に建築され、母屋の庭は、「無鄰(むりん)(あん)」「(たい)(りゅう)山荘(さんそう)」「野村(のむら)(へき)(うん)(そう)」などを作庭した、当時京都を中心に活躍していた、近代日本庭園の先駆者とされる作庭家「植治」こと「七代目小川治兵衛」が作庭した、名古屋唯一の庭園と言われています。

戦前・中にはかつての宮家である「東久邇稔彦」氏(ひがしくにのみや・なるひこ)が歩兵第五旅団長宿舎として3年半、「賀陽宮恒憲」氏(かやのみや・つねのり)が留守第三師団長として半年間、邸宅として利用するために隣地300坪を購入して防空壕を造成、現在の1000坪となりました。
近年は、将棋の「叡王戦」や「王位戦」の対局会場としても、ご利用頂いております。

本館(かよう・応接間・玄関・土蔵)大正8年(蔵の根太に記載)
旧館(春日野・若草・すずか)昭和25年築
別館(あかね・ちくし・おおとり)昭和30年築
新館(つるまい・ほうおう)昭和41年築